樗谿【その3・樗谷とは?】私説_鳥取東照宮(樗谷神社・因幡東照宮)_王子谷(王子谷)大日谷(大日ノ谷・大日ケ谷)_樗は色の名前・木の名前_センダン・ニワウルシ(シンジュ)・ニガキ・ゴンズイ

樗谿【その3】樗谷とは?私説

■樗谿とは?

●鳥取市
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1240472250501/index.html
 「樗谿」の由来については、古来、樗谿の山中に「王子(寺)」(おうじ)という寺院があったことにより、「王子(寺)谷」(おうじだに)と言われていたとの説と、かつて「大日村」という村落があったことから「大日谷」(おおひだに)と言われていたとの2つの説があります。
 「樗谿」の字が当てられるようになったのは、園内にある東照宮が明治時代に「樗谿神社」と改称されてからのようです。

結論を先にいうと、
樗谿の名前の由来や名付けられた時期などの定説はないようだ。
限られた情報と時間や能力ではあるが、
自分の説をまとめてみた。


★★★私説1
「寺:王寺、村:大日村、谷:大日谷又は王寺谷」

■樗谿と呼ばれるようになる以前の谷は?

●樗谿を歩く
―歴史と自然のフィールドワーク―
編集・発行:鳥取市歴史博物館

1、東照宮ができるまで―寺院と村落があった時代―
 往古、樗谿の山中には「王寺」という寺院が存在したといわれます。その関係
で古くは「王寺谷」(王子谷)と言われ、あるいはかつて「大日村」という村落が
あったことから「大日谷」「大日ケ谷」とも言われました。
(以上、原文のまま)

・王寺は、現在姫路市にある天台宗寺院の書寫山圓教寺が王寺の本寺(末寺を直轄する寺院)
・王寺という寺院が実在した時期は分かっていないが、江戸時代をややさかのぼった時代だろう。
・1581年の秀吉の鳥取城攻め、1600年(慶長5年)関が原合戦にともない大日ケ谷の山上に亀井軍の隊。
・これらの戦乱で王寺は、退廃したのだろう。
・王寺の跡地周辺に東照宮を建立したことが推測される。
・1619年の鳥取城下絵図は栗谷までで、大日村は町割から外れていた。
・1632年には大日村は武家地に整備されていた。
・大日村→集落を移動→小西谷村(小在・こざい)
・移動の時期は定かではないが、1624~1644年頃ではないだろうか。

鳥取市のホームページでは、「王子(寺)谷」と「大日谷」の‘2つの説’があるとのこと。
この書籍では、そうともとれる内容だが、王寺と大日村は実在したように書かれているので、
「王子(寺)谷」とも「大日谷」ともいわれた‘1つの説’を考えてみた。
尚、この書籍には「因幡民談記」の内容が多く記載されている。


王、王子、大日。いずれも、ただものではないし、同じ表現とも感じる。
谷と寺、谷と村の名前は、同じではない場合も考えられる。


A、王子谷→王寺→王子谷(王寺谷)→大日村→大日谷
・王子谷に王寺という寺院を建立し、王子谷は王寺谷とも書かれた。
・王子谷に大日村ができた。
・王子谷は大日谷と呼ばれるようになった。

B、大日谷→王寺→大日谷(王寺谷・王子谷)→大日村
・大日谷に王寺という寺院を建立した。
・大日谷は王寺谷と呼ばれるようになり、王子谷とも書かれた。
・大日谷(王寺谷・王子谷)に大日村ができた。

C、谷に名前はない又は別名→王寺→王寺谷(王子谷)→大日村→大日谷
・谷に王寺という寺院を建立した。
・谷は王寺谷と呼ばれるようになり、王子谷とも書かれた。
・王寺谷に大日村ができた。
・王寺谷は大日谷と呼ばれるようになった。

などが考えられるが、AかBの
「寺:王寺、村:大日村、谷:大日谷又は王寺谷」であった。
そして、
「人が住まなくなった谷は、名前も消え、やがて新しい名前の樗谿になった。」
のだろう。

谷全体を王寺谷(王子谷)、村のあった辺りを大日谷(大日ノ谷・大日ケ谷)といったのかもしれない。


★★★私説2
「樗は色の名前/樗谿は、明治新政府が神社だけに付けた名前」

■樗って何?

・明治維新
・1871年(明治4年)廃藩置県により鳥取県となった。

東照宮の新名称を担当する新政府の関係者(たち)がいた。

1、鳥取以外の地で資料を見た。
「王寺(谷)神社か、王子(谷)神社か、大日(谷)神社だな。」

2、どこかで誰かに聞いた。自分でも言ってみた。
「どれも似ている。おうちだに(おおちだに)とも聞こえた。」

3、現地に行ってみた。
神域だけに漂う気があり、もやが立ち込めていた。
「語呂合わせで他の字を考えよう。」

4、考えた。相談した。
聖徳太子も定めた最上位の色、紫。
樗は、薄い青紫。
「そうだ、樗にしよう!」

・1874年(明治7年)東照宮を樗谿神社に改称。

彼らは、そこの地名・歴史を残しつつ、東照宮での体感から樗谿神社とした。
谷と谿の違いについては全く調べていないが、もしも、それも拘ったのであれば、東照宮建立時に変えた自然のままではない谷を表現したかったのかもしれない。

尚、彼らは神社の名前を樗谿としただけで、谷の名前は、「王子(寺)谷」(おうじだに)又は「大日谷」(おおひだに)のままであった。

と思う。

■谷を樗谿と呼ばれるようになった時期は?

●鳥取市
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1240472250501/index.html
「樗谿」の字が当てられるようになったのは、園内にある東照宮が明治時代に「樗谿神社」と改称されてからのようです。

「神社の名前より先に樗谿という名前があった。」という説もあるようだ。

●simo
樗谿神社(鳥取市)
http://plaza.rakuten.co.jp/simo2007/diary/201202010000/
この神社の由来は『大日谷』や『王子谷』の地名が転じて明治時代までに『樗谿』となり、それが神社の名前となったとの事が有力だそうです。

東照宮創建の1650年(慶安3年)~東照宮を樗谿神社に改称した1874年(明治7年)の間の200年あまりのいつか。
なのだろうが、その説を裏付け、時期を特定できる資料が見つからなかった。



★★★私説3
「樗は木の名前/センダンではなく、ニワウルシ(シンジュ)である。」

谷に樗(あふち)の木があったことから、樗谿といわれているという説もあるようだ。

■「樗(あふち)の木」ってどんな木?

1、センダン
栴檀
楝(おうち)花樗(はなおうち)
アジア各地の熱帯・亜熱帯域に自生。
日本での本来の自生は、四国までとされ。主に四国、九州、沖縄に分布。
温暖な地域の海岸近くや森林辺縁に多い。

2、ニワウルシ(シンジュ)
神樹(しんじゅ)樗木(ちょぼく)臭椿(しゅうちん)
生薬名は、樗白皮 (ちょはくひ)
ニガキ科の落葉高木。
原産は中国北中部。日本には明治初期に渡来。
近畿地方に自生。

3、ニガキ
苦木

4、ゴンズイ
ミツバウツギ科

5、「樗」の漢字を使う昆虫・シンジュサン(神樹蚕・樗蚕)
ガの一種で、柑橘類、シンジュ、ニガキ、ヌルデ、クヌギ、キハダ、モクセイ、クスノキ、エゴノキ、エノキなど数多くの樹木の葉を食べる。

センダンとする方が多いようだが、「樗(あふち)の木」=シンジュ(ニワウルシ)ではないだろうか。
栗谷を意識して、ここも植物名としたかもしれない。

東照宮建立の頃に植林した記録は、数万本の松、参道の両側に色々な桜を200~300本、その他、杉や樅も植えたようだ。樗を植えた記録は見つからなかった。
では、自生していたのだろうか?
これも分からなかった。



★★★私説1・2・3のまとめ

樗谿神社を鳥取東照宮と改称したように、樗谿も名称変更したい。
旧名の王寺谷・王子谷・大日谷・大日ノ谷・大日ケ谷などの歴史を広報して、公募による決定が望ましい。
私なら、王子の滝が現存すること、東照宮建立時に御手濯の池(王子の池)があったこと、大日より王子の方が分かりやすいこと、などから「王子谷」。

そして、太閤ヶ平(たいこうがなる)を意識して、新名称は「王子ヶ谷」としたい。
なお、現在の樗谿公園は樗谿公園のまま残すのがいい。